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私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えています。(「九条の会」アピールより)

2005年12月10日 札幌講演会の記録

「世界から見た日本国憲法」 天木 直人氏 (前在レバノン大使)

歴史を学ぶことは自分の考えを持つこと

 皆さん、こんにちわ。

 私は長く外務官僚をやっておりまして、アメリカがイラクを攻撃した、それがきっかけで3年前に外務省を去ることになったわけです。文字通り私の人生を変えたイラク戦争だったわけです。

 私は先ほどの野田先生の話をずっと聞きながら、先生がおっしゃったことを私の個人的な外交官生活の体験を通じて更に補足させていただこうと思います。

 1つは、野田先生が繰り返しておっしゃったように、我々個人個人の実体験として戦争あるいは平和の重要さを受けとめると、このことがいかに重要かということを私は実は3年前に経験したわけです。

 そして、2つ目に、これも繰り返して野田先生がおっしゃっているように我々は歴史から学ぶことがいかに重要かということです。逆に言えば、我々はいかに歴史を知らないかということなんですね。2、3日前の新聞で半藤一利さんという作家の方が小さなコラムにこう書いておられるんですね。歴史を知ったって一銭の得にもならない、と。そんなことを勉強するよりも株で儲けた方がはるかに金は儲かる。しかし歴史を知らないと我々はだまされる、ということなんですね。私も全く同感です。私は外務省ををやめて3年近くになるんですけれども、その間にいろいろな所に講演で呼ばれたりして、できるだけいい話をしなくてはいかんということで、歴史を自分なりにいろいろな本を通じて学ぼうとしたわけです。改めて感じることは、いかに我々が昭和史を知らなかったかと。あの戦争の前後の歴史を知らなかったのか、ということなんですね。知れば知るほど驚くと同時に、他方において、あの小泉さんの言っていることがいかに間違っているか、ということを思い知らされるわけです。

 二三、例を申しあげますと、たとえばあの東条英機という当時の政府の責任者が、ある本によりますと真珠湾攻撃を始める2日前、12月6日の夜に自宅で大声でさめざめと1人泣いたというんですね。その時に奥さんと娘さんが何事が起こったかと思って部屋を覗いて見ると、彼は布団に正座して大声を上げて泣いていた、と。それは何を意味するかということなんですけれども、おそらく推測するに自分は大変なことをやろうとしている、と。つまり、勝てそうもない戦争にいやでも踏み切らざるをえないんだ、と。

 それから、山本五十六さんというこれも非常に評価されている海軍の責任者だったわけですけれども、この人はアメリカに留学したりして、アメリカの力を知っている、と。だから、最後まで戦争には反対だったと言われているわけですけれども、歴史の皮肉と言いますか、そのアメリカに対する戦争に最も反対をしたその人が、まさに真珠湾奇襲作戦の責任者であって、そして日本をあるいはアジアをあそこまで悲惨なことにおいやってしまった、と。

 その彼が天皇陛下の前で「勝てるか」と聞かれたら、「1年やそこらは暴れてみせます」と、こういうことなんですね。つまり、どういうことかと言うと、まともな戦いでは勝てない、と。しかしながら、奇襲攻撃でアメリカの当時の最強の海軍を飛行機で叩くというその意表を突いた形で戦う限りにおいてはある程度の、その限りの勝算はある、とこういうことなんですね。しかし、それは他方で非常に無責任なことであって、その当時その叩いた後どうやって日本は戦況を展開していくか、あるいは戦況を収束させていくかと、そういうのはおよそなかったということですね。そして、その後に続くアメリカとの戦いでどんどんどんどん負けていく。彼はガダルカナルかどこかの戦地で撃墜されて死んだとされていますけれども、一説によると死に場を求めたともいわれています。勝てっこない戦争に自分の責任で突入してそろそろこの時が潮時だと。したがって、飛行機が落ちて墜落しても、まだ彼は生きていたけれども、あえて助かろうとしなかった、ということを言う人もいるぐらいなんです。いずれにしても私が申しあげたいのは歴史をとにかく知る努力をするということなんですね。そうすると、自ずと自分の考えを持つということだと思います。

憲法は一字一句変えてはならない

 頭に紹介された香山リカさんのメッセージの中で、「私は憲法9条について真剣に考えたことがなかった、政治についても考えたこともなかった」というようなことをおっしゃっていました。まさに私も外務官僚にいた当時は、憲法9条について十分な認識も、そしてその重要性についても考えたことはありませんでした。外務省をああいう形でやめることになって、いろいろな所に呼ばれました。だいたい呼ばれる集会は平和と憲法の大切さを訴える集会なんですけれども、私はいつもその時に心の中では気恥ずかしいな、と思っていました。

 多くの人達は長い間平和のためにいろいろな形で行動をとってこられて、そして憲法の重要さを訴えてこられた。私は急に、にわか平和主義者みたいになって、そういう人達と一緒に憲法改悪反対というようなことを言って、これは極めて心苦しいな、と内心思いながら、今日まできたわけです。

 けれども、私には1つだけ皆さんに対してある程度胸をはって言えることがある。それは今となっては私は誰よりも「憲法がすばらしいものだ、したがって一字一句変えてはいけない」、こういう気持ちになったということです。

 私が中東のレバノンという国に勤務した時に、あのアメリカのイラク攻撃が起こって、そして私はそれに反対してやめることになった。なぜ、私はあの当時あそこまで強くあのイラク攻撃に反対したのかなと時々今思うんです。

 少し話が具体的になりますけれども、私は結果的にはあのアメリカの攻撃が始まる1週間前(当時はいつ始まるかわかりませんでしたから、まさか1週間後に戦争が始まるとは思っていませんでしたけれども)、とにかくアメリカの攻撃はもう避けられないという中で、毎日毎日CNNニュースを見ながら、夜中の12時頃までは「まだ戦争は始まっていない。しかし一晩たって明日の朝起きた時にテレビを見たら、アメリカはひょっとしてバクダッドを攻撃しているんじゃないか」、毎日毎日そういう思いでベッドについたことを思い出します。

 あの戦争は、今でこそ次々と出てくる証言によって、最近にいたっては嘘までついて情報操作して戦争を行ったという疑惑さえ追及されてブッシュ大統領は窮地に追い込まれているわけですけれども、当時レバノンでいろいろな人と話をして、あの戦争はまさにアメリカが中東政策の一環として周到に考えた末に行った攻撃であると、みんながそう言っていたわけです。私はもちろんあの戦争が国際法違反の違法な占拠である、それをわかっていながらアメリカのやることだから反対できない、こんなばかなことはないんだ、これはもちろんありました。

小泉首相は何もわかっていない

 私はまさにこれが今日の平和に対する思いの原点でもあるんですけれども、レバノンという国にいて、毎日毎日パレスチナ紛争というものを身近に見てきたわけです。私はイスラエルに行ったことがありませんし、目の前でパレスチナ人がイスラエル軍に殺されているということを目撃したこともないんですけれども、しかしレバノンという国はそのイスラエルに国境を接している国で、そしてイスラエルにずっと長い間軍事占領されていた国だったわけです。そして、レバノンの中にもパレスチナ人の難民がいて非常に悲惨な生活を送っていて、そういう国に勤務していますと、毎日毎日会う人ごとにこのパレスチナの問題を語り、そして現地の報道は毎日毎日パレスチナ自治区の住民がイスラエルのおよそ一方的な軍事攻撃にさらされていると報じています。これを見てきたわけですね。私はどうして世界の良心がこれほど不当な人権蹂躙を許すのかと不思議でならなくて、会う人ごとにそういう質問をしたんですけれども、返ってくる答えは「もう我々はこの程度の犠牲では良心が動かないんだ、もう諦めているんだ、アメリカとイスラエルのやっていることに我々は勝てないんだ。」こういう思いをする人がほとんどだったんですね。

 そういう中で、アメリカがまさにパレスチナ問題と平行して、イスラエルと一緒になってテロとの戦いという形でイラク攻撃をする。その結果、何の罪もないイラクの人達が犠牲になっていく、と。私はほんとにもうこれが許せなくて、そして「アメリカのイラク攻撃に日本は賛成するな」ということを言い続けてきたわけです。それで、私は2つ電報を打ったんですね。攻撃開始1週間前にあの戦争に賛成はできないんだ、と。この電報自体は私がクビになるきっかけではなかったと思うんですね。当たり前のことであり、誰が見てもそれは当然のことでした。しかし、私はイラク攻撃が始まった3月20日の2、3日後にもう1本の電報を打ったわけです。当初私はこの2本目の電報を撃つ気は全くなかった。いくら何でも日本の政府の政策を批判する電報ですから、もう1本撃てば十分だと。何度も何度もそういうことをしたら、それこそ外務省をクビになるという気はあったので、二度と同じような電報を打つ気はなかったんです。

 けれども、私はあの攻撃が始まった直後にCNNで小泉首相が日本はこの戦争を支持するんだ、ブッシュは正しいんだ、という放送を見て、愕然としたわけです。彼は「この戦争は正しいんだ、支持するんだ」と言った直後に、「日本はイラク復興のためにお金を出します」と言ったわけです。私はそれを聞いた時に「この首相はほんとに何もわかっていないな」と感じました。つまり「今目の前でアメリカが雨あられのようにバクダッドを攻撃してイラク人が死んでる。その時にお前がやる仕事というのはブッシュに戦争をやめさせることではないのか」と。いつ終わるともわからないイラク戦争の最中に「日本は金を出して復興に協力します」、こんなことをイラク人のあるいはアラブ人の前で言うということは傷に塩を塗るということと同じです。すでに、アラブの人達はアメリカの中東政策に傷ついているわけです。

イラク戦争を支持した小泉首相は許せない

 若干、横道にそれますけれども、残念ながらアラブのほとんどの国は、軍事政権、あるいは独裁政権、あるいは世襲政権で、全て非民主的な政権なんです。そして、アラブの国民はそのような政府に対する反発はあるんですけれども、独裁政権ですから、何かあるとすぐにつかまって拷問される。こういう中で、最初はアラブの政府はパレスチナのためにイスラエルと戦ったりしたわけですけれども、そのうちに彼等は「自分達の政権を守るためにはアメリカと結託するしかない」と気がついて行動します。アラファトさんは1年程前に亡くなったのですが、彼が残した有名な言葉に「我々の敵はイスラエルじゃないんだ。アラブの同胞なんだ」というのがあります。彼はそう言ってゲリラ活動を始めたのです。

 ですから、アラブの国は為政者はそういう形でアメリカ、イスラエルと手をつなぐ。たとえば、今のイラクの暫定政府を見たらわかるんですけれども、みんなアメリカと協力しながら、あの国を将来自分達でおさえようという人達が政権を握っているわけです。

 ところが、一般のアラブ人はもうアメリカなんか出て行ってくれと言い続けています。彼等は残念ながらかつてはオスマントルコ、そしてその後はイギリスだとかフランスに植民地化されてきました。そして今はアメリカが絶対的に中東に支配権を持っているわけです。そういった支配の連続で、彼等は外国の占領は自分達にとってためにならないとわかっている。ですから、アラブの国民はアメリカは出て行ってほしいけれども、しかし指導者達はアメリカと手を結んでいる。

 そして、その指導者達も内心では、本当はこういうことをすべきではないんだと、やはりアラブはパレスチナの独立を早く実現して平和をこさせたいんだと思っています。けれども、自分達の身がかわいいからアメリカと協力せざるをえない、こういうジレンマなんですね。そういう非常に気の毒なと言いますか、屈折したアラブの中で、アメリカはどんどんと兵力を増強して軍事的基盤を作っていって、そしていわゆる反米勢力を徹底的になくしていこうとしています。

 私は、アラブではそういう見方をみんなしているんだということを東京に送って、日本こそはアメリカとは全く違った中東政策を持てるじゃないかということを言い続けてきたわけです。けれども、残念ながら小泉さんは、あの戦争は正しいんだと、イラク戦争を支持するんだと言って、自衛隊まで出して日本をどんどん今の状況に追いやっていったわけです。

 私が北海道に最初に来させていただいたのが今から2年ぐらい前です。よく覚えているんですけれども、紋別という所に、雪の非常に深い夜に講演に呼ばれたんですね。その時に箕輪さんが自衛隊のイラク派遣は違憲だという訴訟を起こすという話を聞いて、非常に感銘を受けまして、今日まで箕輪訴訟を傍聴させてもらったり、そして私自身名古屋の違憲訴訟の原告の一人にもなってきました。

 イラクの自衛隊は来年(06年)には、いやでも撤退をせざるをえない状況になっていますから、おそらく小泉さんは撤退するんでしょう。しかし、私は彼が自衛隊撤退を行った後も、そして彼が総理をやめた後も彼の戦争犯罪責任を追及しようと思っているんです。一国の首相をここまで批判していいのかという声をよく聞きます。もうだいぶ前になるんですけれども、テレビで西村真悟さんという、最近不祥事でつかまった議員と一緒に出た時、彼は私に向かって「お前はこの間まで国の代表として大使をやっていた男だろう。その男が日本の総理を非難してどうするんだ」とどなっていました。私はもちろん箕輪さんも、一国の総理を非難することはしのびがたいことです。しかし、まちがっていることはやはりまちがいだと言わなければならない。私はさっき申しあげたように、どうしてもイラク戦争を支持した小泉さんを許せないんだという強い感情がある。その背景には私が3年間レバノンで見てきたアラブ人の悲しみと怒りと、そして無念さですね。それが常に私の背中にあるからこそ私はあのイラク戦争の不当さを一貫して言い続けてこられたんだと、こう思うわけです。

なぜ私が護憲主義者になったのか

 ぜ私がこの3年間で誰にも負けない護憲主義者になったかという話を次にさせていただきます。これも歴史を学ぶことと関係してくるんです。今の憲法は、おびただしい人達の努力と政治的決断、そしてあるいは政治的なジレンマによって作り上げられてきました。ですから、今一字たりともあの憲法を変えれば、それはもう全く違う憲法になってしまうと思うのです。私は自分なりに憲法の歴史を見た時に、まちがいなく今の憲法はマッカーサーから押しつけられた、私はそう思っています。当時の記録で明らかなように、日本政府の当時の責任者は自ら憲法を変えるという気は全くなかったわけです。ポツダム宣言を受諾してもですよ。受諾しても憲法を変える気はなかった。そして、当時の有識者が作った憲法草案がマッカーサーの知ることになった時に、マッカーサーは即座に「こいつらは何もわかっていない」と言って、自ら三原則を提示したわけです。ですから、それは押しつけられている言葉がいいかどうかはわかりませんけれども、日本人が自発的にあの平和憲法を書いたわけでは決してなかったと思うんです。しかし、問題はそのような形で受け入れた憲法を我々はずっと60年間守って来たわけです。

 そして、その60年の歴史の中に、ご承知のように日本を取り巻く国際政治の全てが凝縮されている。戦後の国際政治の主役はつねにアメリカでした。そのアメリカがあの9.11事件を境に様変わりしました。この事件には、陰謀説と言いますか、アメリカがやったのではないか、あるいはイスラエルがやったのではないかと、どう考えても不自然だという説があるぐらい、あまりにもあの事件の前と後とでは、アメリカの安全保障政策が様変わりするわけです。

なぜ「テロとの闘い」なのだ

 今日、最後に私がどうしても申しあげたいのは、来年(06年)3月に最終的に小泉さんが受け入れると言われている米軍再編に対する協力です。実はこれも繰り返し申しあげますように、知れば知るほど認めがたい合意なんです。

 それはどういうことかと言いますと、まさに戦後60年の一番最初の1945年の時点では日本は完全な非武装、武装解除されたわけです。アメリカは二度と日本に軍国主義を復活させてはならないと考えた。当時は吉田茂首相が国会で共産党の野坂議員から自衛のための軍隊も放棄するのはおかしいじゃないか、と追及されたのに対して、あの吉田茂がですよ、「そんなことを言っているから、いつまでも戦争が終わらないんだ、自衛の戦争でも否定するんだ」と、はっきり答えているんです。そいうところから始まったのです。ところが、やがて共産主義の脅威が出てきてアメリカが日本を「自由主義」陣営の橋頭堡にしようとした。その時に本来ならばアメリカは日本の憲法を変えるべきだったのでしょうが、当時日本はアメリカだけでなく他の国と一緒に占領されていましたから、そこに手をつけるのは避けて、あえて現実的に自衛隊を作っていったのです。そしてあの60年安保闘争で、岸首相があの日米安保条約を双務的、恒常的、永続的なものにしていった。そして、冷戦が終わって共産主義の脅威がなくなったにも関わらず、湾岸戦争の時に時限立法ではありますけれども、日本をアジア以外の地域でのアメリカの戦争に協力できるようにしていった。

 そして、今度の米軍再編は、100%日本の憲法を否定するアメリカとの軍事同盟です。しかも、アメリカが言う敵はもはや共産主義の脅威ではなくて、テロとの戦いなんです。先ほど野田先生もおっしゃったように「テロとの戦い」という言葉ほど曖昧で危険な言葉はないわけです。「テロ」というのは、あらゆる国が集まって定義をしようとしても、いつまでたっても答えの出ない概念なんです。それは当たり前です。一般的に言えば、テロというのは法体系の枠を暴力でもって崩していく。つまり、為政者が作った法体系の下で抑圧された人達が合法的には変えられないから最後の手段として暴力を使うんだと。そういうテロは世界中にあります。しかし、アメリカの言っている「テロ」というのは、こよなくアメリカ的なテロです。つまり、アラブの反米抵抗組織がアメリカをターゲットに起こしたゲリラ戦争なんですね。日本はアジアではまちがいを犯しましたけれども、中東では全く悪いことをしていない。それどころか今でも全ての国が親日的であるほど日本は中東から好意的に見られている国なんです。ですから、日本がそんな反米の武装抵抗の標的になることは百パーセントありえない。最もテロから離れた国であるはずです。それが、アメリカのイラク戦争に協力したために、まさにその危険性が出てきたということなのです。

 もはや今の日本の国防政策は、この「テロとの戦い」が一番最初に出てくるようになってしまいました。こんなばかなことはありません。そんなばかな政策を国民のまともな議論もなく、その時の一握りの権力者と官僚が決めるとは、どういうことでしょうか。私はこれは大変な越権行為であり、そして将来に禍根を残すことだと思っています。

日本をアメリカのくびきから解き放そう

 私は自分が生きているうちにそういう日本をこの目で見られるかどうかわかりませんけれども、もし日本がアメリカとの軍事同盟から解き放たれたら、それこそ自由な考え方で日本の外交を進められることになる、これはすばらしいことだと思うんですね。

 私は30数年間外務官僚をやってきまして、同僚はみんな偉くなってしまいました。これまで彼等の考えていること全てを共有してきました。彼等はもういやでいやで仕方がないんです。なんでアメリカからこんな無理難題を言われるのかと、みんな思っているんです。しかし、アメリカとの安保体制は何にも増して日本にとっては重要だという「お経」がどうしても打ち破れない。それは信念をもってアメリカとの軍事同盟が日本にとって重要なんだということでは全くなくて、戦後ずっと全く思考停止をしながら、アメリカに怒られたり蹴られたら、日本の経済は成り立たないと思ってきた。これは全くの思い込みなんですね。

 私はイラク戦争をきっかけに人生が変わったと申しあげました。あの事件がなければ、私はまだ外務省にいさせてもらって、どこかの国の大使をやっているだろう。少なくともあと3年ぐらいは生活は安泰だったと思います。しかし、今や組織から離れて、国家権力から目の敵にされて、全く様変わりの生活をしています。そういうことよりも、私が人生が変わったというのは、この3年間一方において、かつての同僚あるいはかつての人間関係を百パーセント断って、他方においては全く今まで想像もできなかったような人達との出会いが始まったわけです。その時に、私はつくづく私が今までつきあっていた人達のいかにその生き様が限られたものか、それ以外の世界に住んでいる人達の生き様がいかに豊かでそして知的であり、活動的であるかということを感じたんです。

 そして、何よりも私は自分の正しいと思っていることを誰に恐れることもなく話せる自分になったことです。官僚組織という檻のような中から解き放たれて、自由に空を飛べる一人の人間に58歳にしてなった。私は日本は今悲鳴をあげていると思うんです。悲鳴をあげている。そして、その一番の理由はアメリカにがんじがらめにされているということだと思うんです。今の政治家が、あるいは今の経済界のリーダーができなければ、我々がそれをやればいいんです。

この日本は我々一人一人のものなんです。ですから、我々が世話になった日本が悲鳴をあげている時に、どうして我々がその日本を救い出すことができないのか。

 私はそういうことが可能かどうかわかりませんけれども、この憲法9条を守るということを通じて、日本をアメリカのくびきから解き放す。これこそが我々が後世の日本人に残す責務ではないかなと思うわけです。大江さんもビデオでおっしゃっていましたけれども、5年くらいは難しいかも知れないけれども、10年たてばどうなるかわからない、というアメリカ人の詩人の言葉というのは、私は非常に大きな意味を持っていると思います。歴史は必ず変わっていくし、そして人間も変わっていく。いつまでも同じ所に立ち止まっていることはないと思うんです。

 歴史を学ぶと、事実に対して謙虚になることができます。そして何事も自分の個人的な実感として受けとめ、想像力を働かせ、自分自身の考え方を持って生きていくことができます。私はこれからの日本人がそういう生き方をしてくれることを願って、私の残りの人生をよりよい日本のために少しでも貢献していきたいと思っています。どうもありがとうございました。

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