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2005年12月10日 札幌講演会の記録

Q:天木さんが外務省に出した2通目の電報の内容は?
イラクで外務官のオクさんが殺された事件をどのようにお考えですか。

天 木:2本目の電報が結局小泉さんを怒らせて私がクビになった原因だと思っているんです。その電報で私はこう書いたんですね。つまり、あなたの今やるべきことはブッシュ大統領を支持することでも、日本の援助をひけらかせて自慢することでもない、目の前の戦争をやめることだ、と。そのためにあなたが直接にブッシュ大統領と会って、あるいはフランスのシラク大統領と会って国際社会の手で平和をもたらすことを語りかけるべきだと、こういう内容の電報なんです。これは直接に小泉さんに「あなたはまちがっているんだ」と言った電報ですから、おそらくその電報が最終的には外務省をやめざるをえなくなった電報だと思っています。

 奥大使とは個人的なつきあいはありませんでした。彼は、私がレバノンの大使をしていた時に、イギリス大使館参事官のままの身分でイラクに派遣されました。そして、彼が派遣されたのは03年4月だと記憶していますが、つまりイラク戦争が03年3月20日に始まって、あっというまに終わって、(外務省の情けない外交なんですけれども)戦後復興という時に、とにかくアメリカに協力するということをアメリカと世界に対して見せるということになって、ともかく誰かを現地に派遣しようということになりました。そして、ラグビーの選手だった奥さんが元気があるというので選ばれたのです。当時の次官が「いい奴を送るから」といっていたのを覚えています。

 彼は、現地に行って何度も報告していましたけれども、最初の頃は「何をやっていいかわからない」と。「アメリカは自分を必要としていない。ほったらかしにされている」と。「自分は一人で何をやったらいいかを見つけて、そしてやっているんだ」という電報が最初の頃に届いていました。私はそれを読んだ時に「やはり、そうか」と思いました。つまり、アメリカにとっては、別に日本の外交官なんかが来なくても全く痛くも痒くもない。そもそもアメリカ自身が何をやっていいかわからない状態だったんですから。そんな状態の中で、彼は行かされた。気の毒だなという印象を持って、最初の報告を読んでいました。そうしているうちに、彼は11月の末にあの事件にあってしまいました。

 私は事件のことを聞いて、最初に驚いたのはレバノン大使館という言葉が出てきたことです。その時は、私はもうレバノンを去っていました。けれども、レバノン大使館という言葉が出ると一体なんだろうと、身構えてしまう。耳をすましたら、レバノン大使館のランドクルーザーが狙撃にあったということなんです。ああいう地域の大使館には防弾車があるんです。大使の車と、山の中に行ったりするランドクルーザーがトヨタ製の防弾車です。私が大使でいた時に、東京から「防弾車が足らないから、お前の所の防弾車をイラクによこせ」と指示がありました。私は断りました。「もし本当に危ないと思うんだったら、金を出してイラクに新しい防弾車を贈るべきだ」と言って、私はつっぱねたんです。しかし、私がいなくなった後、おそらく後任者がそれを認めて派遣したんでしょう。我々が毎日使っていたあの防弾車がまさにイラクに派遣され、そして奥さんを乗せて、そして銃撃にあったということです。非常に残念です。

 ただ、どうしても私が外務省を許せないのは、いまだにあの事件の原因をつきとめていないことです。こんなおかしいことはありえないと思うんですよ。わからないならわからないなりに自分達の手で調べて、その結果を少なくても外務省として公表すべきだとおもいます。それが、曖昧のままになっている。もう死んでも死にきれないだろうなという思いを、私はもったことを覚えています。

Q:天皇の戦争責任、『日の丸・君が代』問題、靖国神社について

野 田:私は、天皇制というのは現在も戦前と同じように続いている面が非常に多いと思います。たとえば、亡くなった参事官は、外務省がまともな情報活動もしないことによって殺されてしまったんですよね。

 そして、死んだ二人は平和のための活動をしたということで、功績大だと、この国では宣伝されました。一人の死を読み換えするというのは、これは小さいけれども謀略です。国民がそういった1つ1つ作り替えられた情報の中で生きているということを、日常的に積み重ねながら私達の社会が維持されている。そういうことをマスコミはきちっと指摘はできません。たとえば皆さんどうでしょうか?私の感覚ではおかしいと思うんだけれども、なぜ参事官が殺されたら大使になるんでしょうか。日本は天国に大使を送れるような国を持っているんでしょうか。おかしなことだけれど、公務員の世界では当たり前です。

 靖国に関わる問題です。現職の首相で、靖国に参拝しているのは三木と中曽根と、そして小泉です。この人達に共通していることは弱小派閥から選ばれた首相であるということです。彼等が靖国に行くということは、自民党内の大きな勢力である日本遺族会と軍恩連(軍恩連盟連合会)の票を集めるという政治的な意図があると解釈されても仕方ないと思います。私が持っている2002年度の政治資金収支報告書の時の自民党員が117万人です。その時に軍恩連の会員が15万5千人、日本遺族会が11万人です。両者で自民党の23パーセントを占めているんです。膨大な数です。

 この人達は、遺族年金とか軍人恩給を、いろいろな形の運動を通じて、一気に復活させました。その復活というのは、陸軍でいえば第一種の戦闘地帯、つまり侵略地に行った人達は1年を4年に計算する。そして、外地の軽微地帯、いわゆる占領地域については1年を3年にみなすということでした。これによって、こういった人達は1950年代に一気に膨大なお金を支給されました。そういった人達が自民党を支えているんです。つまり、国民の税金をこういうトリックによって得た人たちが自民党員になり、そしてその党首がお参りに行くという構造を作っているわけです。そして、その頂点に天皇があるという構造です。

 靖国参拝の問題は、小泉の頭の中では「戦争で死んだ人をお参りしてどこが悪い」という、単純な発想しかないのかも知れません、彼の場合。しかし、その動きは、常に政治的な歯車として動いていると言えると思います。

 天皇の責任を、私達はきちっと追求していかないといけない。たとえば、現在の憲法で名前1つ見ても、国王と呼べばいいのに天皇なんていう名前で呼んでいる国は私達だけです。そして、未だに共和制も作れないでいるのは私達です。そこまで言わなくても、近代における天皇制が果たした役割を私達はもう1回掘り起こさないといけないです。

 たとえば、ロシアでも文革の中国ですら、それ以前の権力がおこなった抑圧に対して、必要な名誉回復をしました。大きな部局を作って、1つ1つ書類を整理しております。しかし、日本は戦前の刑法あるいは治安維持法で、多くの人を殺しておきながら、一度も国家がそれを調査して名誉回復するなんていう動きはありません。せいぜい再審の要求をしても、はねつけられるのがおちです。本来、国会がやる仕事ですよね。

 そういった天皇制が近代おこした歪みについて、1つ1つ調査をしていく視点があれば、奥参事官が大使にされて、そして当時日本に帰ってきた棺にかけるアメリカの星条旗並みの大きな日章旗がないとか、そういうばかなことを言うような国にはならないはずです。

 「日の丸、君が代」の問題でも全部そうです。私は最近はずっと尾道での民間人校長の自殺に関わりました。あの校長は明確に「君が代は歌いたくない」と、教育長にあてて言っていました。「自分は部落差別の問題に取り組みながら、差別について関わって教育者となった。そうした人間として身分制を讃える歌を今さら歌えということに矛盾を感じます、これをどうしたらいいでしょうか」という質問を出しています。そこまで言った人が死んだんです。追いつめられて。殺したのは教育長であります。しかし、マスコミは、彼は部落解放同盟と教職員組合の板挟みの中で死んだというふうに一人の死を読み換えをしていくわけです。ふだんに多くの市民の犠牲が読み換えられながら、社会が動いていく。そして、それは常に天皇制の中で上の支配のもとにかしこまる式の話にすり替えられていくという構造です。過去を振り返りながら、かつ同時に日々起こっている問題を見る目がないとだめです。そういったジャーナリズムをちゃんと作っていくための努力をしないといけないと思います。

Q:武力で紛争解決はできるのか。軍隊を持たないで平和な世界を求めるのは無謀な理想論なのか。
自衛のための最低限の軍備は必要ではないのか。

天 木:自衛のための軍を持つかどうかという議論は、私もまだ今でも自信を持って言えない残ったところなんです。

 ただ1つだけ言えることは、いわゆる国防、戦争と、個人のよく言われるような「錠前論」、つまり無防備だと泥棒が入るという議論は、まったく別だということです。国と国との戦争には、そういう議論はまったくなじまないと思うんです。たとえば、あのアメリカがイラクを攻撃した時に、準備に1年以上かかっています。そして、そのアメリカが一方的に武力攻撃するんだと宣言してから、実際に3月20日に攻撃するまでに1カ月以上かかっているんです。ですから、いきなり北朝鮮がミサイルを飛ばして攻めてきたらどうするかという議論は全くなじまないんです。

 よく安全保障の議論で言われることは、そんなことを言ったって、丸腰でどうやって1億2千万の国民を守れるんだということですが、それに対して私は「ばかなことを言うな」といいたい。国と国との争いは、その前に必ず外交的な長いプロセスがあるんだということです。本気になって戦争を回避しようとすれば、それはもう政治交渉でできるということです。

 私は、この議論は徹底的に国民の間でやっていくべきだと思います。そうでないと、すでに目の前の脅威をどうするんだ、北朝鮮が核武装したらどうするんだと、こういう議論になってくるんです。そうなると、後は議論が続かなくなる。

 それともう1つ、紛争を起こさないためには確固とした意志力がないとだめなんです。何があっても武力を使わない、使わさせないという意志。この覚悟がなくて、ただ単に平和平和と言っているだけでは、本当の意味で人を説得させられない。それは一言で言えば政治の力ですが、我々ひとり一人が、何があっても武力を使わない、使わさせないという意志を持つこと。これが非常に重要だと思うんです。

 それから、最初の質問で武力で紛争が解決できるかということです。これはもう百パーセント断言できます。解決できません。たしかに、一時的にはできます。たとえば、今のイラクですね。アメリカは徹頭徹尾武力で押さえつけようとしています。それから、パレスチナもそうです。現にアラファトが死んで、パレスチナの武装抵抗はほとんどもう身動きがとれなくなっている。

 彼等はまさにあのイラクでアメリカに追いつめられているにもかかわらず、テロはなくならない。一時的には抑えることができても、必ずそれを数倍上回る憎しみが生まれてきますから、武力では絶対平和は来ない。これはもう歴史的にもあらゆる意味で証明されることですから、それに対する答えはもう明らかだと思います。

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