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私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えています。(「九条の会」アピールより)

2005年12月10日 札幌講演会の記録

中 井:ASEAN外相会議で、地域の紛争については武力を使わないで平和的に解決するというアピールを出したり、平和解決というルールができつつあるというふうに感じます。ところが、日本はその逆を行って外交努力をあまりしないで、すぐに軍備というふうにいってしまう。この考え方は、やはり日米軍事同盟の枠の中でしかものを考えていない、そこにベースがあるというふうに考えていいんでしょうか。

天 木:全くその通りです。今のアメリカは、武力で解決することが正しいんだと公言しています。ネオコンと言われる人達の一人が書いた本の中ではっきりと言っているんです。昔ヨーロッパは植民地時代にあれだけ武力を使ったじゃないか。今、あいつらは俺達に比べたら武力が弱いから、話し合いだとか国際協調だと言っているけれども、あいつらだって武力を強く持っていた時代は、みんな武力でやったじゃないか。今のアメリカは世界に希な武力を持った国で、アメリカだけが紛争を解決できるんだ。そして、紛争解決には武力が一番手っ取り早いんだ、とはっきりこう言っていますから、もうそれはおよそ話し合いでということとは対極にあるわけです。

 そのアメリカが、まさに日本を軍事同盟の一員として、日本とは何の関係もないアメリカが作ったアメリカの軍事作戦に協力させようとしているのです。最も平和に反することを日本はやろうとしているわけですから、やはり全ての問題は日米関係をどう再構築していくかということにかかっていると思います。

野 田:日本の近代は、中国のように植民地化されるのではないかという不安から出発しました。開国の時からですね。そういう意味では、この国の中で生きるということは大変なことだという不安をあおることが政治家の能力だったわけです。「不安だから頑張らなければいけないぞ」というパフォーマンスをするという能力が、政治家の優秀性の評価に関わってきています。戦前はそうやって軍備を増強してきたわけです。

 今でいえば北朝鮮です。この間拉致問題からずっと数年間の状況を見てください。国民の中に不安を呼び起こすということを、ずっと巧みにやっていきました。

 私達には、自分の心の中に起こった不安を外に見てしまいます。私達は自分がやってきたことを相手に移し替えて、自分もされるだろうと思ってしまいます。たとえば、あの敗戦の時に日本の国民と兵士達が思ったことは、実は、自分が中国などでやってきたことです。男達は皆殺しにし、女達は強姦した。アメリカ軍が来たら、同じことをされるだろうと思ったわけです。しかし、そうではなかった。それに驚きながら、今度はアメリカ追随になっていくわけです。結局自分の内面の投影というのがあって、そういう意味では政治家は不安をあおるということを常にやっております。私達はそれを越えるためにはきちっと現実を見ないといけないと思います。

 今、天木さんが言われたように、戦争というのはクーデターではありません。国家と国家の戦争というのは長いプロセスがあるわけです。そういうことをこの憲法ははっきりと書いてあって、戦争のかわりに不断の努力を外交的にやっていこう、ということを書いてあるわけです。しかし、そのことはすっかり私達はどうも忘れて、お金をばらまくことが平和活動らしく思わされている。そして、実はそのお金のチェック機能もなくて、あちこちで社会を歪めている。ODAによる金のためにどれくらいその国の社会が歪められているかということを、マスコミがきちっと調査する能力もない。そういう社会の中に私達は生きているということではないでしょうか。

中 井:最後に、お二方にお聞きします。

 野田先生は先ほど、戦争の被害についての視点があるけれども、加害者としての視点がなかったということと、その中でも特に集団主義が日本にあって、自我を自覚した個の確立が必要なんだということをおっしゃいました。天木さんは同じように個人の実体験として戦争を知り、自分自身の考え方をもって判断をしなければならないんだ、ということと、アラブ人の無念さを非常によく感じて今の立場に立っているんだとおっしゃいました。

 お二人は、一人一人の国民が、確固たる信念を持ち続けるということについて、強調されたと思います。そのこととあわせて、今後憲法9条を守るための運動を、どういう視点で続けたらいいのかということをお二人にお聞かせていただきたいと思います。

天 木:私も小泉さんも、実際の戦争を知らない世代です。今ほとんどの人は戦争を知らない。しかし、じゃ戦争を体験していない人が、戦争の悲惨さがわからないのかと言うと、それは決してそうじゃないと思うんです。パレスチナ問題について、一所懸命活動している日本の女性が、ある本でこう書いています。自分はパレスチナに行くまで、全く何も知らなかったし、関心もなかった。しかし、毎日パレスチナ問題というのが新聞の紙面に出ているので、一度どんな所か行ってみようと思って、実際に行ってみた。そこでパレスチナの子ども達と生活を共にして、毎日彼等の悲惨な状況を見てきた。日本に帰ってきて、友達に日本も何とかしなくちゃいかんのじゃないか、と言ったら、誰もピンとこなかった。そんなものは我々と関係ないし、一人でそんなことをやったところで何の意味があるんだ、という反応ばっかりだったというのです。そして、「私はその友達を非難する気にはならない」と言い、「自分も知らなかったら、おそらくそうだ」と。しかし、自分はもう知ってしまったということなんです。

 先日新聞を見ていますと、若い新聞記者がパプアニューギニアに遺骨収集の旅を取材するために同行して、一緒に遺骨を掘った話が載っていました。ボロボロになった遺骨を手にして、この美しい太平洋の島にかつてこんな悲惨なことがあったのかということを、彼はその時に思うわけです。そして小泉さんが靖国に行った時の発言を非難するようになるわけです。

 個人の体験というのはちょっとしたことで、自分自身のものになります。そういう意味で、あえてやろうとしないというのは、単なる怠慢にすぎないと、私は思います。

野 田:自分で授業をしていたりして、私は、ちょっとしたことで知った戦争の実態が、それほど役に立つかどうか、疑問です。たとえば、こんな意見を言う学生がいました。広島で育って小学校・中学と原爆記念館に行き、原爆の悲惨さをレポートに書いたりしてきた学生です。しかし、東京に家が移ったら、私にとって原爆は遠い話になりました。言われれば、原爆の悲惨さを書くことはできますけれども。こういうことを書いた学生がいます。やはり系統的に学ぶということをしないといけないと思います。一体何が起こったのか、ということを系統的に学ばなければいけないと思います。少なくても、高等教育を受ける人達はそのことをちゃんと努力して学ばないといけないし、それを他の人に伝える必要があると思います。

 私は、大学を出た時点では小泉さん程度の認識しかありませんでした。「日本はかつて侵略をしただろう」それぐらいです。私は文革の後、中国の農村へ行きました。そして、村人の厳しい眼差しに合って、自分の無知を知りました。かつて日本がしたことは、「侵略」という抽象的な概念でとらえられないと思いました。それから色々なことを考え、歩くようになりました。おそらく、かなり歩いている人間でしょう。

 私、かつて『世界』に書いたのですけれども、皆さん日本の戦争でこういう事実を1つでも知らないことがあったら、やはり系統的に学んでください。

 日清戦争で、旅順でどれくらい日本軍が中国の人達を殺したのか、台湾占領期にどれくらい多くの虐殺を行ったのか、朝鮮の王妃を殺害した事件、朝鮮植民地下での虐殺、旧満州の支配の実態、南京大虐殺、雲南南部など中国各地での虐殺、中国各都市への空爆、香港、シンガポール、マレー各地での虐殺、インドネシア、フィリピンの占領の実態、ベトナムでの戦争末期から戦後にかけて200万人と言われる飢餓の実態、戦死者よりも病死者や餓死の多い日本軍の戦線の実態、日本陸軍の無秩序な暴力の文化、731部隊、毒ガス兵器の無尽蔵の使用、従軍慰安婦、一応これぐらい羅列します。

 1つでも知らなかったら、私達はそこに系統的に日本の近代を学ぶ意志をもっていないということではないかと思います。

 私が学生に言っていることです。1つの断片だけを知ると時間がたつうちに、「そんなひどいこともあったかも知れない。しかし、もう考えたくない」という力が働いてきます。やはり、きちっと系統的に私達の文化はどういう基盤の上に成り立っているかを知らないといけないと思います。そうした教育がきちんとできていなくて、日本はここにきたのではないでしょうか。

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