九条の輝きを世界へ!

医療九条の会・北海道

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私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えています。(「九条の会」アピールより)

2005年12月10日 札幌講演会の記録

呼びかけ人代表 黒川 一郎氏 (札幌医大名誉教授)
札幌講演会3

 今日は、予想外と言っては大変失礼ではございますが、お席に不自由をおかけするぐらいたくさん、300人以上のご参加をいただきました。まずお詫びかたがた厚くお礼申しあげます。また、野田先生、天木先生、すばらしいお話ありがとうございました。

 終わりのご挨拶でございますが、私の個人史をちょっとご披露させていただきたいと思います。

 私は今年76歳でございます。ちょうど天木さんが生まれた年に18歳でありまして、その18才の時です。この札幌グランドホテルは当時、アメリカ軍の高級将校の宿舎として接収されておりました。私は英会話でも学ぼうかというような軽い気持ちでエレベーターボーイのアルバイトをしていました(今は自動ですけれども、昔は手で動かしていたんです)。アメリカの軍人さんが、家族で赴任していました。午後5時から翌日の午前8時までが勤務でして、昭和22年ですからいつもお腹が減っていました。それで、朝に米軍の兵士が食べ残した残飯を雑炊にして、どんぶりいっぱいの給食があったのです。その中にアメリカの兵隊さんが食べ残したハンバーグの切れっ端とか、そういう臭いがありますと、無上に幸せになった、そういう卑屈きわまりない生活でした。

 その後数年たってグランドホテルにきてみましたら、やはり日本人の経営になっていいな、というような思いがしたものです。しかし、米軍のMPが治安を守っておりまして、労働組合の人などはMPがにらんでいました。やはり、占領はいやだな、とつくづく思いました。

 私は医者になりまして、何十年か経ちました。その間に北海道医師会の役員もさせていただきましたが、箕輪登さんが郵政大臣になった時は、医師会の名誉だということで、パークホテルに2千人ぐらい集まって祝賀会を開いたものです。その時のさっそうたる箕輪さんを思い出しますが、今日皆様の前で声をふりしぼって挨拶なさりました箕輪さんが、1年前から自衛隊のイラク派兵は違憲だという訴訟に踏み切られました。そこに私はこういう講演会を立ち上げる発起人に、箕輪さんにならってなりたいな、と想ったわけでございます。

 今日、天木さんが外務省にいた時は制限された人生だったけれども、今は非常に自由であるというふうにおっしゃいましたけれども、箕輪さんも今も自民党員であって、小泉さんが圧勝したことは自民党員としては嬉しいけれども、不安である、とおっしゃって、党員としてはそれが当然のお考えであろうかと想いますが、それでありながらなおかつ勇気を持って人間としての良心に基づいて訴訟を起こされたのです。

 先ほどの香山リカさんのメッセージでも、勝ち組といっても、いつ負け組になるかわからないという不安を抱えている、それで九条は安全弁だ、安全だという良心の支えであるというようなことをおっしゃいましたが、まさにそうであるかと想います。

 九条を守る「九条の会」も、全国では3千、それから北海道ではすでに2百以上立ち上がったと聞いております。札幌市内にある、それぞれの会の方にご案内申しあげたことが、今日の盛会とつながったと思います。心からお礼を申しあげます。私達もその仲間入りをめざして、「九条の会・医療者の会」の北海道の会を来年の春から夏に向けて正式に立ち上げたいと思います。今日は慣らし運転ということでございますけれども、たくさんお集まりいただきましてありがとうございます。

 心は1つだと思います。「九条の会」呼びかけ人である、奥平康弘さんという方が、話をしてみて心の中のお互いの水脈というものをとらえたような感じがするということをおっしゃっています。話してみるまでは、誰がどう考えているかわからないけれども、話を熱心に聞いている、熱心に討議しているということで、心の中の水脈が、お互いに通じ合うということがあるかと思います。これを無限に広げることこそ、私達の安全保障ではないかと思います。

 これからも手を組み合って日本の未来のために、またさしあたっての現在の困難を突破するために、力強く進もうではありませんか。今日のご参加、本当にありがとうございます。